レビー小体型認知症スマイルニュースhttps://dlbsn.orgレビー小体型認知症に関する情報を発信しています。Wed, 04 Feb 2026 01:16:32 +0000jahourly1https://dlbsn.org/wp-content/uploads/cropped-logo_dlbsn-32x32.pngレビー小体型認知症スマイルニュースhttps://dlbsn.org3232 連載:医学における小阪憲司先生の功績とレビー小体型認知症の発見の歴史15https://dlbsn.org/dlb-history/no15.htmlSun, 08 Feb 2026 13:08:00 +0000https://dlbsn.org/?p=4466

 レビー小体型認知症(DLB)を発見したのは、小阪憲司先生(2023年3月16日ご逝去)です。この連載コラムでは、小阪憲司先生の業績を中心に、DLB診療の進歩について、医療・医学に詳しくない方でも理解しやすいように努めて ... ]]>

 レビー小体型認知症(DLB)を発見したのは、小阪憲司先生(2023年3月16日ご逝去)です。この連載コラムでは、小阪憲司先生の業績を中心に、DLB診療の進歩について、医療・医学に詳しくない方でも理解しやすいように努めて記述していきたいと思います。(文責:鵜飼克行、総合上飯田第一病院・老年精神科・部長)

連載:第15回

DLBDに関する国際ワークショップの開催(その1)

 1995年、びまん性レビー小体病(DLBD)に関する第1回目の国際ワークショップが、英国イングランドのNewcastle upon Tyneで開催されました。この会議で、議論の末、レビー小体型認知症(DLB)」という名称が決定されました。

 実は、小阪先生は「DLB」という名称に不満を持ってみえたのですが、「決まってしまったものはしょうがない」と苦笑されていました。

 1996年、このワークショップでの成果が「DLB臨床病理診断基準」として、世界に発表されました。これを扱った論文で、DLBは小阪先生のLBD分類に基づいて、(1)新皮質型、(2)移行型(辺縁型)、(3)脳幹型、の3型に分類されました。

図1:アムステルダムのシンボル的建物
(アムステルダム中央駅 筆者の息子が出張中に撮影、2024年

1997年の第2回DLB国際ワークショップは、オランダのAmsterdamで開催されました。

 このワークショップで、小阪先生は「びまん型」「移行型」「脳幹型」に続く「第4の型」である「大脳型LBD」を提唱して、それもDLB分類に採用されました。

 「大脳型」とは、大脳皮質のみにレビー小体が多く分布していて,脳幹にはほとんどない型のことをいいます。

 他にも、DLBは「うつ病と誤診されやすい」「REM睡眠行動障害(RBD)が高率で認められる」などの重要な臨床所見が確認されました。

 同年(1997年)、レビー小体の主成分がalpha-synuclein(αシヌクレイン)であることが発見されました。αシヌクレインに対する抗体で免疫染色を行うことにより、20年前(1978年)の小阪先生の見解である「脳幹のレビー小体と大脳皮質のレビー小体は同じもの」という主張が、完全に正しかったと証明されました。

 また、免疫染色によって、小阪先生がHematoxylin-Eosin染色で記載していた「intraneuritic Lewy body」や「ghost Lewy body」、さらに微小構造である「Lewy neurite」までもが、誰でも明瞭に認識できるようになりました。これらを一括して「レビー病理(Lewy pathology)」と呼んでいます。

連載第15回はここまでとします。第16回で、またお会いしましょう。

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連載:医学における小阪憲司先生の功績とレビー小体型認知症の発見の歴史14https://dlbsn.org/dlb-history/no14.htmlSun, 01 Feb 2026 23:42:34 +0000https://dlbsn.org/?p=4445

 レビー小体型認知症(DLB)を発見したのは、小阪憲司先生(2023年3月16日ご逝去)です。この連載コラムでは、小阪憲司先生の業績を中心に、DLB診療の進歩について、医療・医学に詳しくない方でも理解しやすいように努めて ... ]]>

 レビー小体型認知症(DLB)を発見したのは、小阪憲司先生(2023年3月16日ご逝去)です。この連載コラムでは、小阪憲司先生の業績を中心に、DLB診療の進歩について、医療・医学に詳しくない方でも理解しやすいように努めて記述していきたいと思います。(文責:鵜飼克行、総合上飯田第一病院・老年精神科・部長)

連載:第14回

「レビー小体病」「びまん性レビー小体病」概念の提出(その3)

 1990年、小阪先生は日本で報告された37剖検例をまとめて、論文「Diffuse Lewy body disease(DLBD:びまん性レビー小体病)in Japan」を発表しました。

図1:「Diffuse Lewy body disease in Japan」論文の最初のページ
(筆者所有の論文の最初のページをSCANしたもの)

 この論文では、DLBDは二つの型に分類されました。すなわち、「通常型(28例)」と「純粋型(9例)」です。

 「通常型」のDLBDは、いろいろな程度のアルツハイマー病(AD)の病理を合併したタイプであり、「純粋型」のDLBDとは、AD病理がほとんど認められないタイプです。 一般的に(我が国では)「純粋型」は「通常型」に比べると若年発症で、パーキンソニズムが目立つ(初発症状)傾向があります。

 筆者は、小阪先生から直接に、「純粋型のDLBDは少なく、多くは通常型だよ。DLBDとADは『兄弟』疾患だと思っている」と教えられました。筆者が「AD病理にDLBD(レビー)病理が被ってくるのか、レビー病理にAD病理が被ってくるのか、どっちですか?」と聞いたときに、「どっちもあると思う」との答えでした。

鵜飼先生
鵜飼先生

「DLBD(びまん性レビー小体病)=DLB(レビー小体型認知症)」

と考えてOKです。

図2:ケルンのシンボル・世界遺産・大聖堂
(筆者の息子が出張中に撮影、2024年)

 1993年、ケルンで開催されたドイツ精神医学会150周年記念シンポジウムに招待された小阪先生は、「純粋型のDLBD」の日本人例と欧米人例の比較検討をした研究成果を講演しました。

 小阪先生がケルンでのドイツ精神医学会150周年記念シンポジウムで講演をしてから30年以上が経っています。つまり、ドイツ精神医学会は180年以上の歴史を誇っているわけです。

 ちなみに、日本精神神経学会(現在の我が国の精神医療・医学の基盤学会です。設立当時の名称は「日本神経学会」でした)の設立は123年前の1902年です。

 面白いことに、欧米人の純粋型の発症年齢は、日本人とは異なり、若年発症ではなく(日本人の純粋型は平均39歳発症)、通常型(平均69歳発症)と変わりがありませんでした。

 この原因は不明のままですが、近年では我が国でも純粋型の高齢化がみられるようです。

 なお、この研究は、原稿化されたにもかかわらず、理由は知りませんが、残念ながら発刊(論文化)されませんでした。しかし、ドイツ語での講演抄録は残っています。小阪先生自身による「レビー小体病」のドイツ語訳は「Lewy-Korperchen Krankheit」です。

連載第13回はここまでとします。第15回で、またお会いしましょう。

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2026年4月3日DLBスマイルグループ愛知~交流会開催のお知らせhttps://dlbsn.org/group/aichi/event20260403.htmlFri, 09 Jan 2026 01:48:33 +0000https://dlbsn.org/?p=4435愛知のページへ戻る

2026年4月3日愛知交流会パンフレット・申込書-ダウンロード用PDF(2ページ 2ページ目が申込用紙となってます。 0.5Mb)

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event_aichi_20260403

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2026年3月28日レビー小体型認知症シンポジウム2026~開催のお知らせhttps://dlbsn.org/kansai/event20260328.htmlFri, 09 Jan 2026 01:45:25 +0000https://dlbsn.org/?p=4333パンフレット・申込方法(1ページ 2026年1月8日更新しました)

2026年3月28日レビー小体型認知症関西3団体によるシンポジウム2026パンフレット・申込方法のダウンロード用PDF(1ページ 0.5Mb)

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event_kyoto_osaka_hyogo_20260328

レビー小体型認知症サポートグループ 京都の紹介(2026年、当サイトに紹介を掲載予定)

レビー小体型認知症スマイルリンゲージ 大阪の紹介(2026年、当サイトに紹介を掲載予定)

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2026年2月28日DLBスマイルリンゲージ茨城~交流会開催のお知らせhttps://dlbsn.org/ibaraki/event20260228.htmlFri, 09 Jan 2026 01:28:11 +0000https://dlbsn.org/?p=4425茨城のページへ戻る

2026年2月28日茨城交流会 パンフレット・参加申込票-ダウンロード用PDF(2ページ 0.5Mb)

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2026年2月15日DLBスマイルリンケージ東京~交流会開催のお知らせhttps://dlbsn.org/group/tokyo/event202602.htmlThu, 08 Jan 2026 12:43:54 +0000https://dlbsn.org/?p=4325DLBスマイルリンケージ東京のページへ戻る

2026年2月15日DLBスマイルリンケージ東京交流会パンフレット-ダウンロード用PDF(A4・2ページ 0.9Mb)

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event_tokyo_20260215

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連載:医学における小阪憲司先生の功績とレビー小体型認知症の発見の歴史13https://dlbsn.org/dlb-history/no13.htmlSun, 21 Dec 2025 15:34:58 +0000https://dlbsn.org/?p=4391

 レビー小体型認知症(DLB)を発見したのは、小阪憲司先生(2023年3月16日ご逝去)です。この連載コラムでは、小阪憲司先生の業績を中心に、DLB診療の進歩について、医療・医学に詳しくない方でも理解しやすいように努めて ... ]]>

 レビー小体型認知症(DLB)を発見したのは、小阪憲司先生(2023年3月16日ご逝去)です。この連載コラムでは、小阪憲司先生の業績を中心に、DLB診療の進歩について、医療・医学に詳しくない方でも理解しやすいように努めて記述していきたいと思います。(文責:鵜飼克行、総合上飯田第一病院・老年精神科・部長)

連載:第13回

「レビー小体病」「びまん性レビー小体病」概念の提出(その2)

 ドイツ留学から帰国した小阪先生は、1980年に自験20剖検例に基づいて「レビー小体病(Lewy body disease:LBD)」の概念を提唱しました。

 この論文の中で、小阪先生はLBDを3つの型に分類しました。①びまん型②移行型③脳幹型、の3型です。

: 1996年に小阪先生は、LBDの4つ目の型として「④大脳型」を追加しています。びまん型LBDと大脳型LBDの違いは、また別の機会に説明することにします。

 米国の研究者らは、「パーキンソン病患者に認知症が発症する原因は、アルツハイマー病が合併するため」と主張していましたが、それに対して、小阪先生は「新しい認知症性疾患の発見」を確信していました。

 1984年、小阪先生は自験剖検12例を基に、新しい認知症性疾患として「びまん性レビー小体病(diffuse Lewy body disease:DLBD)」の名称を提唱しました。小阪先生の、この「DLBD論文」が発表されて、1985年以降には欧米でも同様の報告が多く発表されるようになりました。

鵜飼先生
鵜飼先生

LBDとDLBは、どう異なり、どこが同じなのか、分かりにくいと思いますので、少し説明します。

 LBDとは、多数のレビー小体が出現して、その臨床症状の原因となっていると思われる疾患の総称です。つまり、レビー小体の存在がその疾患の主徴となっている疾患群を意味します。「認知症ではないLBD」というケースもあります。

 パーキンソン病(PD)は、レビー小体が主に脳幹の中脳黒質に出現しますので、脳幹型LBDに該当することになります(早期の段階であれば認知障害は認めないことが多い)。

 びまん性レビー小体病(DLBD)は、レビー小体が脳幹にも・大脳辺縁系にも・大脳皮質にも、びまん性に出現しているタイプで、びまん型LBDに該当し、このタイプは認知障害をきたすので、これがのちに、国際的に「レビー小体型認知症(dementia with Lewy bodies:DLB)」と命名されたと考えてください。

 ちなみに、PDでは、脳幹型LBDから移行型を経て、最終的にびまん型LBDに至ると、認知障害が生じて、パーキンソン病認知症(PDD)になります。こうなると、もはや病理像ではDLB(=DLBD)と区別できなくなります(つまり、両者は同じ疾患と言えます)。

鵜飼先生
鵜飼先生

注3:LBDを一つの疾患と考えて、PD・PDD・DLBはLBDの亜型であると解釈してもいいと思います。つまり、レビー小体が主に(最初に)どこから発生してくるかによって、LBDの症例を、PDやDLBなどに亜分類しているという考え方です。

 要するに、PDも・DLBも・PDDも、すべて同じLBDという疾患であり、レビー小体が主に(最初に)どこから発生するか・どの程度まで広がったかによって、呼び方を変えているだけと考えるわけです。

鵜飼先生
鵜飼先生

 「レビー小体がある疾患の総称」「レビー小体病という一つの病気」、このどっちの考え方でも、そう変わらない気もしますが、小阪先生は「レビー小体病という一つの病気」という考え方だったと思います。よって、小阪先生の弟子である我々の仲間内では、こう考える人々が主流だと思います。

:失神(起立性低血圧や神経反射性)を主症状として発症するLBDも存在します(初めの頃には認知障害はありません)。このタイプのLBDは、自律神経系が主に(最初に)障害されると考えられ、純粋自律神経不全症(pure autonomic failure:PAF)に分類されます。病理解剖して調べないと分かりませんが、おそらく、自律神経系にレビー小体が多数出現している(黒質や大脳には少ない)のだろうと思われます。この病理が証明されれば、新たに「自律神経型LBD」という「第5の型」になるかもしれません(大脳型が「第4の型」であることは、前述しました)。

連載第13回はここまでとします。第14回で、またお会いしましょう。

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連載:医学における小阪憲司先生の功績とレビー小体型認知症の発見の歴史12https://dlbsn.org/dlb-history/no12.htmlThu, 11 Dec 2025 23:50:56 +0000https://dlbsn.org/?p=4372

 レビー小体型認知症(DLB)を発見したのは、小阪憲司先生(2023年3月16日ご逝去)です。この連載コラムでは、小阪憲司先生の業績を中心に、DLB診療の進歩について、医療・医学に詳しくない方でも理解しやすいように努めて ... ]]>

 レビー小体型認知症(DLB)を発見したのは、小阪憲司先生(2023年3月16日ご逝去)です。この連載コラムでは、小阪憲司先生の業績を中心に、DLB診療の進歩について、医療・医学に詳しくない方でも理解しやすいように努めて記述していきたいと思います。(文責:鵜飼克行、総合上飯田第一病院・老年精神科・部長)

連載:第12回

「レビー小体病」「びまん性レビー小体病」概念の提出(その1)

 1975年に名古屋大学医学部精神科から東京都精神医学総合研究所に転籍した小阪先生は、1977年に西ドイツ(現ドイツ)・ミュンヘンのMax-Plank(マックス・プランク)精神医学研究所に留学しました。

 小阪先生が名古屋大学から東京都精神医学総合研究所に移籍した理由については、「当時の名古屋大学は、まだまだ学生運動が盛んで、『研究は悪』という風潮だった。研究できる状況じゃなかった」と仰っていました。

 注1:今の若い方は、「西ドイツ」「学生運動」と聞いても、ピンとこない方が多いと思いますので、少し説明します。

 第2次世界大戦において、ヒトラー率いる「ナチス・ドイツ」は、西からは米国・英国を主体とした連合軍に、東からはソビエト連邦軍に攻撃され、崩壊しました。このため、ドイツは、自由主義陣営となる西ドイツ(ドイツ連邦共和国)と、共産主義陣営の東ドイツ(ドイツ民主共和国)とに分裂しました(冷戦の開始)。1990年に、約半世紀ぶりに、両ドイツは再び統合されました。

 学生運動とは、狭義には、1960年の安保闘争(日米安全保障条約改定反対運動)から1970年頃の全共闘(全学共闘会議)運動のことを意味すると思います。この頃の大学生・大学院生を中心とした人々が、学生生活や政治に対して問題提起や社会運動を行いましたが、一部の武装した暴力的な運動がエスカレート、内ゲバ(内部ゲバルト:ゲバルトはドイツ語で暴力の意味です)も起こって、多くの死者が出てしまったこともあり、その勢いは終息したそうです。しかし、この学生運動の影響は、筆者が名古屋大学医学部精神科に入局した1995年でも感じられました(「臨床に専念せず、研究しているような医者は、不届き者だ」という雰囲気です。現在は、そんな雰囲気は全くなくなっており、「臨床も・研究もできる医者こそが立派な医者である」とされ、皆から一目置かれるようです)。

鵜飼先生
鵜飼先生

小阪先生の留学先はドイツでしたので、筆者との共著論文での校正の時には、「英語はそんなに得意じゃないんだよ、ドイツ語の方がまし」と謙遜されて、仰っていました。筆者にとって、懐かしい思い出の一つです。

 現在、日本人研究者が発表する論文は、ほとんどが英語(米語)です。日本の雑誌でも、英語でしか受け付けてもらえない雑誌(国際雑誌)も多くあります。日本語専用の雑誌には日本語で書きますが、大学や研究機関などでは、「日本語での論文は、論文ではない(仕事として認めない)」などと言われてしまうこともよくあります。現代社会では、英語が国際共通語ですので、英語での執筆はやむを得ないことですが、AI(artificial intelligence:人工知能)がどんどん進歩すれば、どんな言語で書いても、世界中の人に読んでもらえるようになるかもしれませんね。早くそうなって欲しいです。

図1:2024年のミュンヘンの広場の様子
鵜飼先生
鵜飼先生

筆者の息子が出張中に撮影した写真です。

鵜飼先生
鵜飼先生

ミュンヘンは小阪先生の留学先でした。今から約半世紀も昔の話ですね。小阪先生はミュンヘンのニンフェンブルク城近くの古いアパートを借りてご家族4人で過ごしていたそうです(当時は超円安時代で生活も苦労されたようです)。

 

 1979年、マックス・プランク精神医学研究所の教授との共著で、小阪先生は大脳皮質にレビー小体が多発する認知症のドイツ人2症例を英文(抄録は英・独両文)で報告し、アルツハイマー病の病理を合併してはいるが、この2症例は「新しい認知症性疾患」である可能性が高いことを報告しました。

 この症例報告論文は、欧州で初めてとなるレビー小体型認知症(DLB)の報告でした。

当時(今から約半世紀前!)の研究所の玄関の前での撮影でしょうか。

図2:マックス・プランク精神医学研究所時代の小阪先生

 

 黄色い車を見ると、年月の流れが感じられますね。

 この写真は、小阪先生の御長男である小阪彰伯さんからお借りしました。

連載第12回はここまでとします。第13回で、またお会いしましょう。

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連載:医学における小阪憲司先生の功績とレビー小体型認知症の発見の歴史11https://dlbsn.org/dlb-history/no11.htmlSun, 07 Dec 2025 15:29:22 +0000https://dlbsn.org/?p=4356

 レビー小体型認知症(DLB)を発見したのは、小阪憲司先生(2023年3月16日ご逝去)です。この連載コラムでは、小阪憲司先生の業績を中心に、DLB診療の進歩について、医療・医学に詳しくない方でも理解しやすいように努めて ... ]]>

 レビー小体型認知症(DLB)を発見したのは、小阪憲司先生(2023年3月16日ご逝去)です。この連載コラムでは、小阪憲司先生の業績を中心に、DLB診療の進歩について、医療・医学に詳しくない方でも理解しやすいように努めて記述していきたいと思います。(文責:鵜飼克行、総合上飯田第一病院・老年精神科・部長)

連載:第11回

パーキンソン病と認知症の関連についての論争(その3)

 1979年、パーキンソン病(PD)の患者に、認知症が高率に生じることを発見した論文が発表されました(この約1世紀も前に、PD患者に認知機能の低下があり得ることをシャルコーが指摘していたことは、連載第4回に記したとおりです)。しかし、認知症の原因は、PDに合併するアルツハイマー病(Alzheimer disease:AD)のためと考えられました。

 また、翌1980年にも同様の趣旨の別の論文が発表されました。これらのため、米国では、「PD患者の認知症の原因はADが合併するため」という考え方が定着しました。

 この頃の我が国では、PDに認知症が高率に起こるという見解にも反対する神経内科医が多かったようです。例えば、小阪先生によれば、PD研究の大家であった楢林博太郎(敬称略)もその一人だったそうです。

鵜飼先生
鵜飼先生

楢林先生は、東京帝国大学の出身で、順天堂大学神経科教授などを歴任されたPD研究の世界的権威でした。2001年3月18日にご逝去されたそうです。ちなみに、小阪先生が亡くなられたのは、2023年3月16日です。

 現在、国際的に、PD患者に認知障害が発症した場合、PDの発症から1年未満に認知障害も発症した場合は「レビー小体型認知症(DLB)」、PDの発症から1年以上経ってから認知障害が発症した場合は「パーキンソン病認知症(Parkinson disease dementia: PDD)」とすることにしましょう、ということになっています(この取り決めを「one year rule:1年ルール」と呼んでいます)。

 しかし、病理学的には、DLBとPDDは同じ(極めて類似)疾患であると言えます。筆者は、この取り決め「one year rule」には頓着せずに、自分の臨床ではどっちも「DLB(またはレビー小体病〔LBD〕)」として扱って(診断して)います。

 PDよりも認知障害が先に発症した場合は、言うまでもなくPDDではなく、DLBです。

 小阪先生は、この「one year rule」には全く反対で、ずーっと取りやめを主張していましたが、残念ながら、現在世界中で使用されている「DLB改訂臨床診断基準2017」にも、未だに残っています。

鵜飼先生
鵜飼先生

 誤解があるといけないので補則しますが、小阪先生は「PDDという用語を使うな」と主張していたわけではありません。臨床で便宜上PDDという用語を使用するのは別にいいのですが、「医学的にDLBとは独立したPDDという疾患が存在する」という誤解の元になりかねない・その見解は間違っていると、主張され・危惧をされていました。

鵜飼先生
鵜飼先生

 ここで、この連載は小阪先生と池田学先生(大阪大学大学院医学系研究科精神医学講座教授)の共著(図)に多くを負っていることを明記しておきたいと思います。

 小阪先生は、この書籍の共著者である池田学先生と、森悦郎先生(東北大学名誉教授、大阪大学大学院連合小児発達学研究科行動神経学・神経精神医学特任教授)と共に、ドネペジルのレビー小体型認知症(DLB)に対する有効性を証明して、世界初のDLB治療薬となったドネペジルの承認を得ることに尽力されました。

 小阪先生は、2007年に「レビー小体型認知症研究会:DLB研究会」を設立した後、2018年までの12年間、代表世話人を務められましたが、その後に、小阪先生の希望・指名で、代表世話人は、池田学先生に引き継がれています(事務局長:内門大丈先生,世話人:約40名)。

小阪先生と池田学先生の共著[1]
鵜飼先生
鵜飼先生

筆者所有を写真撮影

 

連載第11回はここまでとします。第12回で、またお会いしましょう。

[1]小阪憲司・池田学『レビー小体型認知症の臨床(神経心理学コレクション)』医学書院,2010年。

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連載:医学における小阪憲司先生の功績とレビー小体型認知症の発見の歴史10https://dlbsn.org/dlb-history/no10.htmlFri, 28 Nov 2025 00:43:45 +0000https://dlbsn.org/?p=4341

 レビー小体型認知症(DLB)を発見したのは、小阪憲司先生(2023年3月16日ご逝去)です。この連載コラムでは、小阪憲司先生の業績を中心に、DLB診療の進歩について、医療・医学に詳しくない方でも理解しやすいように努めて ... ]]>

 レビー小体型認知症(DLB)を発見したのは、小阪憲司先生(2023年3月16日ご逝去)です。この連載コラムでは、小阪憲司先生の業績を中心に、DLB診療の進歩について、医療・医学に詳しくない方でも理解しやすいように努めて記述していきたいと思います。(文責:鵜飼克行、総合上飯田第一病院・老年精神科・部長)

連載:第10回

パーキンソン病と認知症の関連についての論争(その2)

 1976年、小阪憲司先生は、大脳皮質に多くのレビー小体を認める認知症の症例を英文で報告しました。

図1:小阪先生が発表したレビー小体型認知症の第一症例の論文の最初のページ

 さらに2年後の1978年、小阪先生は同様の3症例を報告し、その中で、(1) 脳幹(黒質)と大脳皮質のレビー小体の比較、(2) レビー小体と神経細胞死との関連、(3) レビー小体が扁桃核(神経細胞が密集している神経核の1つです)にも好発すること、などを主張しました(数々の証拠を挙げて「レビー小体」と断定して、国際的に認められました)。

 これは、レビー小体と認知症との関連を医学史上初めて提起した論文でした(小阪先生の博士論文です)。

図1:小阪先生が発表したレビー小体型認知症の第一症例の論文の最初のページ
鵜飼先生
鵜飼先生

この画像は小阪憲司先生に提供していただいた画像です(現在はご遺族に了承をいただいている)

鵜飼先生
鵜飼先生

どこにレビー小体があるか、分かりますか?

 

  黒質のレビー小体(連載5の図2)に比べると、かなり不明瞭です。だから、黒質のレビー小体が発見されてから60年以上も、誰も気が付かなかったのですね。

 レビー小体に押されて、神経細胞の核が左上に圧排されて、ひしゃげています。

連載第10回はここまでとします。第11回で、またお会いしましょう。

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