連載:医学における小阪憲司先生の功績とレビー小体型認知症の発見の歴史3

 レビー小体型認知症(DLB)を発見したのは、小阪憲司先生(2023年3月16日ご逝去)です。この連載コラムでは、小阪憲司先生の業績を中心に、DLB診療の進歩について、医療・医学に詳しくない方でも理解しやすいように努めて記述していきたいと思います。(文責:鵜飼克行、総合上飯田第一病院・老年精神科・部長)

連載:第3

パーキンソン病の発見(前編)

 パーキンソン病(PD)の発見者であるジェームズ・パーキンソンは、イギリス(イングランド)の外科医・家庭医です。

 彼は自分の患者3名と他3名(合計6名)を基に、PDの臨床所見を詳しく記載して、1817年(今から208年前)に論文「An essay on the shaking palsy(振戦麻痺に関する論説:パーキンソン病の当時の病名が振戦麻痺です)」を発表しました。

 現在では振戦麻痺の病名はほとんど使われず、普通はパーキンソン病と呼ばれます(小阪先生の業績に基づいて「レビー小体病(脳幹型)」と呼ばれることもあります)。

振戦麻痺に関するエッセイ
パーキンソンが書いた『振戦麻痺に関するエッセイ』の最初のページ[1]

連載第3回はここまでとします。また、次回、お会いしましょう。

[1] McCall, Bridget (2003年1月). “Dr. James Parkinson 1755–1824”. Parkinson’s Diseas Society. 2006年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年9月10日閲覧。

[1] この画像は、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 4.0 国際 パブリック・ライセンスのもとで公表されたウィキペディアの項目「ジェームズ・パーキンソン」を素材として二次利用しています。