連載:医学における小阪憲司先生の功績とレビー小体型認知症の発見の歴史4

 レビー小体型認知症(DLB)を発見したのは、小阪憲司先生(2023年3月16日ご逝去)です。この連載コラムでは、小阪憲司先生の業績を中心に、DLB診療の進歩について、医療・医学に詳しくない方でも理解しやすいように努めて記述していきたいと思います。(文責:鵜飼克行、総合上飯田第一病院・老年精神科・部長)

連載:第4

パーキンソン病の発見(後編)

 ジェームズ・パーキンソンが、現在はパーキンソン病(PD)」と呼ばれる病気を発見して、その約半世紀後(1868~80年頃か、我が国では「明治維新」の真っ最中)、フランスのパリにあるサルペトリエール病院で講義を行っていた精神神経病学者のジャン・マルタン・シャルコーは、この疾患を再発見して「Maladie de Parkinson(フランス語で〔パーキンソン病〕の意味)」と命名し,PDの症状は振戦や麻痺だけではなく認知障害(もの忘れなどの症状)も起こることを指摘しました。

 つまり、振戦麻痺というパーキンソンが発見した病気は、シャルコーが再発見して、パーキンソン病と命名するまでの約半世紀の間、忘れ去られていた、と言ってもいいでしょう。

サルペトリエール病院
サルペトリエール病院[1]

サルペトリエール病院:精神神経科学史上、とても有名な総合病院です。

近年では、自動車事故で重傷を負われたダイアナ妃が、息を引き取られた病院としても知られています。

 パーキンソンによる最初の報告から約1世紀後の1912年、フリッツ・ハインリッヒ・レビー(Lewy)が、「振戦麻痺(パーキンソン病の別名です)」のタイトルで、その神経病理学的研究の成果を論文にして発表しました。レビーはPD患者のマイネルト基底核と迷走神経背側核(ともに神経細胞が密集している部位です。このような密集域を「神経核」、または単に「核」と呼びます)に、エオジン陽性(顕微鏡で組織を観察する際の染色法の一つです)の神経細胞内封入体を多数発見しました。

Frederic Henry Lewey[2]

レビー先生の写真はほとんどなく、これがほぼ唯一の顔写真と言われています。

ユダヤ系のドイツ人ですが、ナチスから逃れてアメリカ合衆国で活躍しました。

名前も英語風のフレドリック・ヘンリー・ルウィー(Lewey)に改名しています。

小阪憲司先生は「アングロサクソンはレビーとは呼ばずに、ルウィって呼ぶんだよ」と仰っていました。一般的には、レビーで大丈夫です。

連載第4回はここまでとします。第5回で、またお会いしましょう。

[1] この画像は、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 4.0 国際 パブリック・ライセンスのもとで公表されたウィキペディアの項目「サルペトリエール病院」を素材として二次利用しています。

[2]Frederic Henry Lewey. Whonamedit?