レビー小体型認知症(DLB)を発見したのは、小阪憲司先生(2023年3月16日ご逝去)です。この連載コラムでは、小阪憲司先生の業績を中心に、DLB診療の進歩について、医療・医学に詳しくない方でも理解しやすいように努めて記述していきたいと思います。(文責:鵜飼克行、総合上飯田第一病院・老年精神科・部長)
連載:第11回
パーキンソン病と認知症の関連についての論争(その3)
1979年、パーキンソン病(PD)の患者に、認知症が高率に生じることを発見した論文が発表されました(この約1世紀も前に、PD患者に認知機能の低下があり得ることをシャルコーが指摘していたことは、連載第4回に記したとおりです)。しかし、認知症の原因は、PDに合併するアルツハイマー病(Alzheimer disease:AD)のためと考えられました。
また、翌1980年にも同様の趣旨の別の論文が発表されました。これらのため、米国では、「PD患者の認知症の原因はADが合併するため」という考え方が定着しました。
この頃の我が国では、PDに認知症が高率に起こるという見解にも反対する神経内科医が多かったようです。例えば、小阪先生によれば、PD研究の大家であった楢林博太郎(敬称略)もその一人だったそうです。

楢林先生は、東京帝国大学の出身で、順天堂大学神経科教授などを歴任されたPD研究の世界的権威でした。2001年3月18日にご逝去されたそうです。ちなみに、小阪先生が亡くなられたのは、2023年3月16日です。
現在、国際的に、PD患者に認知障害が発症した場合、PDの発症から1年未満に認知障害も発症した場合は「レビー小体型認知症(DLB)」、PDの発症から1年以上経ってから認知障害が発症した場合は「パーキンソン病認知症(Parkinson disease dementia: PDD)」とすることにしましょう、ということになっています(この取り決めを「one year rule:1年ルール」と呼んでいます)。
しかし、病理学的には、DLBとPDDは同じ(極めて類似)疾患であると言えます。筆者は、この取り決め「one year rule」には頓着せずに、自分の臨床ではどっちも「DLB(またはレビー小体病〔LBD〕)」として扱って(診断して)います。
PDよりも認知障害が先に発症した場合は、言うまでもなくPDDではなく、DLBです。
小阪先生は、この「one year rule」には全く反対で、ずーっと取りやめを主張していましたが、残念ながら、現在世界中で使用されている「DLB改訂臨床診断基準2017」にも、未だに残っています。

誤解があるといけないので補則しますが、小阪先生は「PDDという用語を使うな」と主張していたわけではありません。臨床で便宜上PDDという用語を使用するのは別にいいのですが、「医学的にDLBとは独立したPDDという疾患が存在する」という誤解の元になりかねない・その見解は間違っていると、主張され・危惧をされていました。

ここで、この連載は小阪先生と池田学先生(大阪大学大学院医学系研究科精神医学講座教授)の共著(図)に多くを負っていることを明記しておきたいと思います。
小阪先生は、この書籍の共著者である池田学先生と、森悦郎先生(東北大学名誉教授、大阪大学大学院連合小児発達学研究科行動神経学・神経精神医学特任教授)と共に、ドネペジルのレビー小体型認知症(DLB)に対する有効性を証明して、世界初のDLB治療薬となったドネペジルの承認を得ることに尽力されました。
小阪先生は、2007年に「レビー小体型認知症研究会:DLB研究会」を設立した後、2018年までの12年間、代表世話人を務められましたが、その後に、小阪先生の希望・指名で、代表世話人は、池田学先生に引き継がれています(事務局長:内門大丈先生,世話人:約40名)。


筆者所有を写真撮影
連載第11回はここまでとします。第12回で、またお会いしましょう。
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